ビワの歴史|ビワが日本で栽培されるようになった経緯

たまご型の可愛らしい容姿と鮮やかなオレンジ色の果皮がとても魅力的なビワは、5月から6月にかけて旬を迎えることから『初夏の味覚』として幅広い世代の方々から人気を集めています。

しかし、ビワは温州みかんやイチゴといった果物とは異なり、旬の季節を過ぎるとスーパーやデパートの青果コーナーから姿を消してしまうため、食べ逃してしまうと来年まで食べることができなくなってしまいます。

なぜ、ビワは旬の季節がこんなにも短いのかと不思議に思った方も大勢いると思います。

ビワ,歴史

その理由は、本とビワの歴史を知ることで答えが明らかとなります。

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日本とビワの歴史

ビワの原産地は中国最大の川・揚子江沿岸地域であり、先史時代の頃に海流に乗って日本海沿岸に流れ着いた種子が根付き自生したとされています。

日本に残る最古のビワの記録は『正倉院文書』とされていますが、この当時のビワは、現在私たちが食べているビワの品種とは少し異なり、果実がとても小さくて食味もあまり良くなかったようです。

日本でビワの栽培が本格的に行われるようになったのは、江戸時代末期から明治時代初頭に中国から伝来した「唐ビワ」がきっかけだと言われています。

唐ビワが日本へ伝来する以前、ビワの木は西日本を中心に自生していたのですが、当時は“ビワの木を植えた家は短命”だとか“ビワの木は植えた人の死を待って開花結実する”などの迷信や言い伝えがたくさんあり、非常に縁起の悪い木として忌み嫌っていた地域が多かったため、我が国におけるビワの栽培方法の確立や品種改良などがなかなか進まず、温州みかんやイチゴなど他の果物と比べると旬の季節が短く、栽培地域も限定されてしまっているようですが、大阪府の旧止々呂美村(現:箕面市)には、

1336年から1339年の或年に箕面山滝安寺に参拝へ向かう途中、山際に自生していたビワの実を発見し、一株持ち帰って自宅の庭に移植したところ、山で食べたビワと同じような果実が実ったため、栽培するものが増えた

という記録が残っており、地域によっては明治時代以前からビワの栽培を行っていた地域もあったことがうかがえます。

また、弥生時代中期以降の遺跡からはヤマビワの遺物が発見されたり、762年に記された『正倉院文書』には食用果実のなかでは最も安価なものと記されています。

まとめ

いかがでしたか。

ビワの歴史を知ることで今まで知らなかった日本の歴史を知ることができた方も多いのではないでしょうか。

日本国内でビワの栽培が盛んに行われるようになったのは、江戸時代末期から明治時代初頭にかけて中国から果実の大きな「唐ビワ」が長崎県へと導入されたことがきっかけだと言われていますが、鎖国時代の1751年ごろには既に千葉県南部の富浦にてビワ栽培が行われていたそうです

この頃のビワは長崎県へと伝わった唐ビワと比べると果実が小ぶりで、江戸を中心に出荷されていたため全国に広まることはありませんでしたが、栽培方法の確立や輸送方法の改良、品種改良などによって富浦のビワの品質が向上し、今では日本一のビワの産地として有名な長崎県に迫る勢いで生産量を増やしています。

ビワに興味を持たれた方は、これをきっかけにお家でビワの木を育ててみたり、ビワを中心としたよりディープな日本の歴史を学んでみてはいかがでしょうか。

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