カーネーションの原産地や歴史

カーネーションは現在でも、流通量の二分の一を輸入物のカーネーションが出回っています。それは、夏が暑く、冬が寒い日本の気候が必ずしもカーネーションの生育に適応していないからです。

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輸入のカーネーションは、コロンビアと中国からの花で90%を占めており、それも価格が安いので、カーネーションの輸入率は菊やバラに比べても断トツに高くなっています。

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カーネーションの原産地

 

カーネーションの原産地は、南ヨーロッパから西アジアの地中海地域といわれています。原産地の気候は風通しがよく、日本ほど気温も高くならない地域です。

シシリー島、南ヨーロッパ、北アフリカ、西アジアで自生していた原種にセキチクなど野生種が交配されて、今日のようなカーネーションができたといわれています。

最近、流通しているカーネーションはすべて交配を重ねた園芸品種であり、原産地と言える地域はありません。

主産国はアメリカやオランダなどで、17世紀には300種以上の品種がイギリスやオランダで栽培されていました。

しかし、最近の主要生産国は中南米やアジアからに変化しています。

カーネーションの歴史

 

カーネーションは、十字架にかけられたキリストを悲しんで、聖母マリアが流した涙の後に咲いた花という言い伝えもあります。

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カーネーションの誕生の地とされるのは、旧ソ連のコーカサス地方です。その歴史は古く、ギリシャ時代から栽培が始まったとされています。美しい娘の生まれ変わりの花としてギリシア神話にも登場しています。

カーネーションの名前の由来はいろいろありますが、そのひとつに「冠」(corona)から来ているという説があります。

カーネーションの花の形が王冠に似ているということ、さらには古代ギリシャ人がオリンポスの神にささげる花冠に使われる花だったためラテン語の「花輪」(corona)にちなんで付けられた名前であるといわれています。

また、原種の花の色を表して、ラテン語の「肉色」(incarnation)から命名されたという説もあります。

イスラム教においては偶像崇拝が禁止されているためモスクなどの装飾に、人や動物を描くことが禁止しされていたので、アラベスクという幾何学模様や草花の文様がよく使われていました。そのアラベスクの意匠にカーネーションの花がよく使われています。

その後、カーネーションはヨーロッパへと伝わります。10世紀は始めに、南ヨーロッパに攻め入ったノルマン人が、原種を持ち帰り、イギリスに伝えたとも言われています。

13世紀には、十字軍がヨーロッパに伝えたという説などもあり、16世紀頃にはヨーロッパ中心に盛んに栽培されるようになりました。同時に交配も進み、17世紀には、ベーシックな花の色や八重咲きや大輪の品種もほぼ確立されました。

現在のようなカーネーションが生まれたのは、19世紀に入ってからです。フランスでカーネーションの品種改良が熱心に行われ、様々な種類の花が作られ、現在の品種の元となる四季咲き性のカーネーションが生まれました。

1840年にはダルメイスがパ―ぺチュアル系を作りだし、1857年にはナポレオンの王妃ジョセフィーヌのもとでマルメゾン系が生まれました。

20世紀に入ると品種改良の場はアメリカに移り「シム系」と呼ばれる品種などさらに多くの品種が作られました。

現在は、ヨーロッパで品種改良が盛んに行われており、地中海系品種のスプレータイプが切り花用の主流となり、鉢植え用としてポットカーネーション、丈夫な品種のガーデンカーネーションなどの品種も開発されています。

日本におけるカーネーションの歴史

 

日本のカーネーションの歴史は江戸時代から始まり、アンジャベルまたはアンジャと呼ばれていました。江戸時代享保年間に出版された「地錦抄録」に徳川家光の時代にオランダからカーネーションが輸入されたと書かれています。

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しかし、その時は日本に定着しませんでした。その後、寛文年間の「花壇綱目」には「あんじゃべる」の名前で記録されています。また1755年に記された「絵本野山草」にも紹介されています。

江戸時代には、カーネーションがオランダ船によってやってきたので、オランダナデシコオランダセキチクと呼ばれたり、甘い香りからジャコウナデシコとの和名も付けられたのです。

 

日本にカーネーションを初めて持ち込んだのはアメリカシアトルに在住していた澤田氏です。1909年の帰国の際にホワイト・エンチャントレス、ローズ・ピンク・エンチャントレス、ヴィクトリーの他数種類を日本に持ち帰りました。

東京に温室を立てて栽培したのがカーネーション生産の歴史の始まりといわれていますが、上手に栽培することはできませんでした。

その後、土倉竜治郎が栽培技術や体制を作り上げ、新しい品種を作り出して、カーネーション栽培を定着させたのです。その功績から彼は、「カーネーションの父」と呼ばれるようになりました。

日本のカーネーション生産の歴史も100年を越すようになりました。いろいろな研究と、交配を重ねて、日本の風土に合うカーネーション作りが行われています。

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