いちごの歴史と日本での栽培|いちごとは

日本では12月から翌5月にかけていちごが旬を迎えるため、最盛期である12月下旬から翌2月にかけて日本各地でいちごフェアが催されています。

本来いちごの旬は3月から5月の晩春から初夏にかけてとなっているのですが、クリスマスシーズンになるといちごの需要が増えることから、現在では品種改良されたいちごの栽培や温度管理を徹底されたハウスでの栽培を行うことで冬でも甘くておいしいいちごが収穫できるようになりました。

また、これまでいちごの生産が不可能だと言われていた真夏の時期でもおいしいいちごが食べられるようにとサマープリンスなどの品種も登場しており、いまでは1年を通していちごが食べられるようになりました。

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そんないちごをこよなく愛する日本人ですが、日本でいちごの栽培が始まったのは、明治時代からだということをご存知ですか。

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日本におけるいちご栽培の歴史

いちごが日本へ伝来したのは、江戸時代末期の1830年から1840年ごろです。

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当時の日本は海外との通商や交易を禁止する鎖国の真っ最中だったのですが、1636年にポルトガル商人を置くために造成された扇形の埋立地・出島のある長崎県には唯一世界中の船舶が停泊することができる貿易港があり、18世紀のオランダで誕生した新品種のいちごが長崎県にもたらされました。

オランダからやってきたいちごは、「オランダいちご」という名で呼ばれ、日本各地へと広まっていったのですが、このときは現代のように生産用としてではなく、観賞用として栽培するのが一般的だったため、さほど普及はしませんでした

明治時代になると、日本でも農作物としていちごの本格的な栽培が行われるようになり、品種改良や国内栽培の育成に関する研究や実験が積極的に行われるようになりました。

日本における野菜・花卉促成の先覚者である農学博士・福羽逸人氏は、1898年に現在の新宿御苑内に設けられていた皇室の栽培試験場「新宿植物御苑」にて、フランスから導入されたゼネラル・シャンジー種をもとに日本初の国産いちご「福羽」の開発に成功したのです。

しかし、皇室の栽培試験場で誕生した福羽いちごは皇室専用の品種であったため、市場に出回ることはありませんでした。そのため、庶民の手には届かない高級いちごとして、「御苑いちご」や「御料いちご」と呼ばれていたこともありました

いちごが大衆化されたのは、1960年ごろです。

関東地方では「ダナーいちご」、関西地方では「宝交早生」、九州地方では「はるのか」など、日本各地でさまざまな品種のいちごが栽培されるようになり、次第にそれぞれの風土や気候に合わせたいちごの栽培技術が確立されてゆき、生産量が増加したことで、いちごが市場に出回るようになり、庶民のくちにも入るようになりました。

ところで、日本初の国産いちご品種「福羽」はどうなったのかと気になっている方も多いのではないでしょうか。

福羽いちごは誕生してから長らく、静岡県の石垣栽培などを中心とする高級いちごとして君臨していたのですが、「とちおとめ」「あまおう」「章姫」など果肉が柔らかくてジューシーな食感とクセの無い優しい甘みと酸味を持つ新しい品種に押され、今では見かける機会が減ってしまいました。

しかし、「とちおとめ」や「あまおう」、「章姫」などの新しい品種には「福羽」の血統を継ぐものが多く、これこそが日本におけるいちご消費拡大の大きな理由ではないかと考えられています。

まとめ

日本におけるいちご栽培の歴史についてご説明させて頂きましたが、いかがでしたでしょうか。

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「いちごにこんな歴史があったとは思わなかった」とたいへん驚かれた方も大勢いることでしょう。

いまでは気軽にスーパーやデパートの青果コーナーで購入することができる国産いちごですが、もしも江戸時代にオランダから長崎県へといちごが伝わらなかったり、明治時代に国産いちごが開発されていなければ、私たちはいちごを食べることができなかったかもしれません。

これまで何気なくいちごを食べていた方もこの機会に歴史に思いを馳せて、1粒1粒味わって食べてみてはいかがでしょうか。

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